冲方丁の「マルドゥック・ヴェロシティ」を読み終えた。 前回読んだマルドゥック・スクランブルが相当面白かったので、こっちはどうだろうと思ったけど、相変わらず最高だった。
感想
マルドゥック・ヴェロシティは「マルドゥック・スクランブル」の過去を描いている。 ボイルドが何故ウフコックらと決別してしまったのか、その理由が「マルドゥック市」が持つ裏の顔と共に暴かれる。
文体が独特で、クランチ文体と呼ばれるらしい。 ジェイムズ・エルロイの「ホワイト・ジャズ」等がそうらしいのだが、まだ読んでいない。 個人的な印象で言えば、やや断片的な語り口の中にリズムがあるようで、これが過去の物語であると宣言されているように感じた。
以下、各巻を読んでいたときのメモ書きのようなもの。 ネタバレ含む。
物語は、マルドゥック・スクランブルのラストシーン、そのフラッシュバックから始まる。 ボイルドの”ビジョン”を彷彿とさせるような、あるいはフィルム1枚1枚に刻まれた映像をコマ送りするような、細切れだが連続した物語のフラッシュバック。
まだ心を持ったボイルドが、繰り返し襲いかかるビジョンに苛まれ、ウフコックへの思いとの狭間に苦しむ様子が描かれている。 スクランブルには登場しなかったユニークな人々も登場した。 スクランブルにはトゥイーズぐらいしかいなかったが、ウフコック同様に動物でありながら人並みの知性を持つオセロットや若き人イースター、そしてその相棒のウィスパーなど、どの人物も個性的で哲学を持っている。
ショーンが、ここで急にスクランブルと交わるとは思っていなかった。 あっさりとした描写ではあったが、「おおここで話が繋がっていたのか」と思わず吃驚。
あと、カトル・カールの面々について、個性的すぎて説明描写が頭のなかで描けないことがたまにあった(笑)トナカイ女は正直全然イメージ出来ない。 スクランブルの敵に比べると、やたら強烈なキャラクターなんだけれども、背景がまったく見えない分不気味に感じる。
次々と死にゆく09の仲間たちへの淋しさが募っていく。 読む前から分かっていたことだけど、一人また一人と消えていく過程を追うのは追うのは胸の痛む思いがする。
ボイルドは、09法のため、ひいてはウフコックのために尽くした。 絶望的な状況のなかでも、ボイルドがウフコックの味方で在り続けたというのは唯一の救いかもしれない。 1巻で「虚無と良心の訣別の物語」と銘打たれていたが、これは、ボイルドという虚無と、ウフコックという良心の関係を物語っていたのかと思い知らされる。
また、本書を読んで、スクランブルの印象が大きく変わる。 同時に、ボイルドがバロットへ託した言葉の重みが増す。
行く末を知っているからこそ、物悲しく滞留する雰囲気を感じながら読み進めていたけど、想像以上の物語の広がりように驚いた。 スクランブルで語られなかったオクトーバー社、ひいてはマルドゥック市の真実、またバロットという素晴らしい使い手にウフコックが委ねられたという事実。 ボイルドは本懐を遂げたのだろうか、Epilogueを読んで、ほんの少しだけホッとした。
次回作マルドゥック・アノニマスが待ち遠しい。