昨年、勤務先の新卒研修で「キャリアキーノート」という取り組みを始めた。これは「先輩の個人史 (キャリア) を紐解いてもらう中で、その根底に一貫して流れる基本的な考え方 (キーノート) を学ぶ場」であり、先輩社員の自己紹介を兼ねた場として設計した。
このアイデアは、YAPC::Asia Tokyo のキーノート、なかでも @mizzy さんの「How Perl Changed My Life」や @typester さんの「エンジニアとして生きる」を原型とし、エドガー・H・シャイン著『キャリア・アンカー』の考えに目的を強化されたものである。
以前「ペパボ新卒エンジニア研修2015が始まっています」でも触れた内容だが、あれから1年が経ち、いろいろと分かってきたことがある。本記事では「キャリアキーノートとはなにか」を再考し、私の考えを今一度綴りたいと思う。
外と内から見るキャリア
「キャリア」という言葉をどう感じるだろうか。偏見だが、私はこの言葉をうさんくさいと感じていた。どうも啓発的に聞こえるし、人事やコンサルなどの「他人」に規定されるようなイメージがあった。
このイメージを変えてくれたのが @hiboma さんと『キャリア・アンカー』である。キャリアには「外的キャリア」と「内的キャリア」という2つの側面があることを教わった。
「外的キャリア」は外見上のキャリアとも呼ばれ、職種や昇進の過程、段階を指す。たとえば、医学部学生からインターン実習生、専門分野ごとの試験修了などを経て医者になるといった段階がそうだ。
一方、「内的キャリア」は内面的なキャリアとも呼ばれ、行動指針 (internal picture) や転機となった出来事、一皮むけたと思う経験、働くことや生きることに対する価値観といったものを指す。
キャリアといえば「外的キャリア」だった私は、「内的キャリア」という他人が規定しえない側面を知った。その後も、書籍などから勉強して、自分の力で作り上げるキャリアを具体的にイメージできるようになり、気がつけば偏見は払拭されていた。
キャリアキーノートは「内的キャリア」を重視する
2つの側面はどちらも重要だが、キャリアキーノートは内的キャリアを重視すべきだ。行動指針や価値観を生み出した背景は、肩書や専門用語を排したエピソードとして語りやすい(ただし、自分自身へ相当踏み込まなければならない場合もあるので、別の意味で難易度は高い)。
少しでも相手に耳を傾けてもらうために、平易な言葉で接するべきというのが最大のポイントである。
また、キャリアは内と外から支え合う表裏一体の関係だと思う。私はエンジニアだが、ルーレットで職業を選んだわけではなく、内的キャリアに基づいた意思決定をしている。内側を重視したからといって外側を軽視することにはならない。
キャリアキーノートという取り組みをもっとも良く形に表していただいているのは @matsumotory さんだと思う。先日発表された資料は以下のとおり。
良いキャリアキーノートとはなにか
どうすれば良いキャリアキーノートになるのか。@matsumotory さんの資料は素晴らしいが、同じものは作れない。
正直なところ、尺度も評価も曖昧で、「聞いたひとの行動に良い影響を及ぼせる」というボヤッとした基準しかないのだが、『キャリア・アンカー』で述べられている以下のポイントが分かりやすいと思う。
- 自分の才能、技能、有能な分野は何か。自分の強み、弱みは何か
- 自分の主な動機、欲求、動因、人生の目標は何か。何を望んでいるのか。または何を望まないのか。それを今まで一度も臨んだことがないから望んでいないのか。ついになにか洞察するところがあって、それを機にもう望むのをやめたのか
- 自分の価値観、つまり自分がやっていることを判断する主な基準は何か。自分の価値観と一致する組織や職務についているか。やっていることをどのくらい好ましいものと感じているのか。自分の仕事やキャリアにどのくらい誇りをもっているのか、または恥ずかしいと感じているのか
(強調は本記事の筆者によるもの)
こうした能力やモチベーション、判断基準を仕事と関連付けて述べるだけでも、十分なエピソードになる。どうしてそのような行動原理が生まれたのか、そのキッカケを述べるのも良い。舞い込んだキッカケをどう解釈したか(プロセス)は重要である。
加えて、キャリアキーノートは「未来」まで語るべきである。語りとしての未来は、”いま”の内的キャリアに根ざしている。そうでなければ SF だろう。どこから至り、何を目指すのか。いまのあなたを説明するには、未来を語るのが良い。それはときに、人の生き方さえ変えるほど強い影響力を発揮する。
一方、「趣味」の話はあまりおすすめしない。スポーツ、読書、音楽、映画、嗜好品…アクティビティとしての趣味は外的キャリアに属すると思っている。物質的所有や知識、幸福などは外的キャリアに分類される1。どうしても語るなら、趣味へと突き動かす行動原理まで含めて説明しないことには、内的キャリアが表れないと思う(趣味は当人にとっての習慣になり、「当たり前」を説明するのは難しい。)
キャリアキーノートは語る側の挑戦である
語りとしてのキャリアに何の意味があるのか。私は「何を語ったか」以上に「何を語らなかったか」にこそ真意があると思っている。言語化することで意味付けされたキャリアには「意味のあるエピソード」が採択される一方、「意味のないエピソード」は棄捨される。
キャリアを編さんする過程で、不要なエピソードは消されてしまう。また、現状の延長線上にむけて語りを拡大し、未来を語るときも同様である。このときの取捨選択に内的キャリアが影響するのだと思う。
この選択と集中こそが内的キャリアであり、語りとしてのキャリアの意味ではないだろうか。
また、内的キャリアの持つ影響力も認識しなければならない。内的キャリアというものは、ある種の暴力性をもって、人に影響を与えてしまうかもしれない。しかもその正しさは誰にも保証出来ない。キャリアキーノートを講演してくれた人なら理解してもらえるかもしれないが、発表にはひどい恐怖が伴う。
しかし、もしもあなたが専門職2であり得るのなら、その恐怖を乗り越え、「何故この未来を語るのか」という責務を自らが定義し、それを全うしてほしい。あなたの強い個性が、悩めるひとを導けるかもしれないからだ。また、あなたのキャリアキーノートは一度きりではなく、何度でも行ってよいだろう。その都度、内容をアップデートさせればよい。まずは、一歩踏み出すところから始めたい。
最後に、先週発表した私のキャリアキーノートを紹介する。これは今年入社したペパボ新卒6期生エンジニアに向けて行われたものである。
情けないことに、ここまで偉そうなことを書き連ねておいて、それに見合った深い内容になっているかが極めて怪しい。キャリアキーノートは自己評価も難しいし、アウトプットすることへの心理的ハードルも高い。自分が創始した取り組みのはずなのに、どうもうまく使いこなせていないようだ。それだけまだ浅いのだろう。
しかし、キャリアキーノートは語る側の挑戦である。挑戦は一度ではないので、機会があれば自分をふりかえり、また挑戦していきたい。